御朱印 1 


1993年06月21日

鹿苑寺
舎利殿(金閣寺)
京都市 北区金閣寺町1


鹿苑寺(ろくおんじ)は、京都市北区にある臨済宗相国寺派の寺
建物の内外に金箔を貼った3層の楼閣建築である舎利殿は金閣
舎利殿を含めた寺院全体は金閣寺(きんかくじ)として知られる。
相国寺の山外塔頭寺院である。
寺名は開基(創設者)である室町幕府3代将軍足利義満の法号
鹿苑院殿にちなむ。山号は北山(ほくざん)。
寺紋は五七桐。義満の北山山荘をその死後に寺としたものである。
舎利殿は室町時代前期の北山文化を代表する建築であったが
昭和25年(1950年)に放火により焼失し
昭和30年(1955年)に再建された。
平成6年(1994年)にユネスコの世界遺産(文化遺産
「古都京都の文化財」の構成資産に登録されている。
1994年06月13日

宝生寺
兵庫県淡路市里326


達者で長寿を授ける御寺
寿老人 (長寿の神)
桃は若さのシンボル。「西遊記」に孫悟空が桃の木から長寿の実をとり
元気を取り戻したことは有名な逸話です。寿老人さまのもつ桃は
美しく歳をとり、美しく老いてゆくことの大切さを示されています。
また鶴と亀と鹿は長寿の象徴とされています。
美しく齢を重ねるには日常、鶴のごとく美しく
亀のように耐える勇気をもち、鹿のように注意深く、俊敏にということです。
御真言: おんばざらゆせいそわか
(縁起) 天平13年(740)、聖武天皇の勅命をうけ、僧行基が淡路島に
建立を祈念し、自ら刻まれた地蔵菩薩を安置したのが創まりで
「日限地蔵尊」と崇められ、霊験あらたかな尊像として
多くの人々に親しまれて来ました。

1994年06月14日

護国寺
兵庫県南あわじ市賀集八幡732


家庭円満・和合を授けるみ寺
布袋尊 (和合の神)
「この世の中は五濁悪世(※)」と嘆いてばかりおれはせぬ。
清濁も合せ呑みこむハラをもち、背負った袋は宝物
だけど自分のものではありませぬ。困った人への贈りもの。
年に一度のサンタクロースどころではありませぬ。
左右の大きな耳たぶへ、貯めて大きくなりました。
布袋尊は仲よく暮らせる人間の理想の姿をあらわされたものです。
御真言: おんまいたれいやそわか
(縁起) 行教上人が開創された由緒ある古刹で
本尊の大日如来坐像は、慈悲にみちたお姿で胎蔵界を表し
千年の歴史が偲ばれます。行教上人は、大和大安寺の
僧で三輪宗及び真言宗を学び、後に伝灯大法師に任じ
貞観元年(869)、豊前宇佐八幡宮に参詣し2年余りを
ここに過ごしました。行教上人有縁の史跡と伝えられています。
1994年06月14日

万福寺
兵庫県南あわじ市賀集鍛冶屋87-1


幸せの釣り方授けるみ寺
恵美酒神 (律儀の神)
えびすさまの左手の鯛は「めでたい」のたい
一般には「芽出る」の意味があります。
 若芽がやがて大樹になるように、何か良くなる”兆(きざし)”を
芽出たいとなりました。今、いろいろと叶えてほしい希望や悩み。
その「何とかして解決を」と努力する姿こそが幸福への芽であり
めでたいのです。右手の釣り糸一筋は礼儀を重んじ、
迷いなく人間らしく一筋に生きぬけとの示唆でございます。
御真言: なむえびすだいじん
(縁 起) 宝亀年間(770~)淳仁天皇の御陵と、御母当麻夫人の
墓守を勤める僧侶の宿坊として創草されたが、時代の変遷とともに
いつしか廃退していった。応永年間(1394~)になり、当地に館を
構えた加集氏により堂宇を再興し、御陵の安穏と民衆の安泰を
祈念する寺院として今日に継承されてきた。
本尊の大日如来像二体を合祀とする須弥壇は、非常に貴重な様式である。
1994年06月14日

覚住寺
兵庫県南あわじ市神代社家343


勇気と決断を授けるみ寺
毘沙門天 (勇気の神)
母親の愛に対して、父親の慈悲。愛だけではこの人生の荒波を
乗り越える事は出来ません。金のよろいで魔をよせつけず
悪業煩悩を押さえつけ、清く、正しく、力強く生き抜く勇気が
なくてはなりません。一家の柱のお父さん一家一族を守るため
この人生の激流に足を踏んばり仁王立ち!
父の慈悲と母の愛、相互に相まって一家和楽の風が吹く。
御真言:おんべいしらまんだやそわか
(縁起) 推古天皇の頃(592)聖徳太子の勅詔により創建されたと
伝えられています。往時七堂伽藍を備えた広大な寺領に塔頭も
多くを数え、その威容を誇っていました。
当寺は、淡路島でも最古の寺院のひとつと伝えられております。
1994年06月14日

長林寺
兵庫県洲本市五色町都志万才975



大望成就を授けるみ寺
福禄寿 (大望の神)
「良いこと」とわかっていてもなかなか実行できないのが
人の常でございます。他人より「ひと味ちがう」大望成就の
人生を謳歌するために朝夕、福禄寿の誓願を読み
誦んじてみてはいかかがですか。
「分を超えて求むることなく、財を費さず陰徳を積む者は
福に恵まれる。」(お顔で表す)「君親の恩を忘れず、行状を慎み
天分を守るものは禄に恵まれる。」(宝珠で表す)「飲食大酒を禁じ
色欲を慎み、気血を養うものは寿運に恵まれる。」(鶴亀で表す)
御真言: おんまかしりそわか
(縁起) 天平9年(737)、僧行基がこの地に七堂伽藍を創建し
本尊十一面観音菩薩像を安置したのが創まりで、塔頭十二坊を
構え仏教弘通の霊場として威容を誇っていました。延喜元年(901)
菅原道真が九州に赴くとき当地にとどまり、長林寺の御堂に参詣されました。
1994年06月14日

智禅寺
兵庫県淡路市草香436



良妻・賢母の道を授けるみ寺
弁財天(知恵の神)
弁財天さまは河川の流れる音の”音楽の神”
音楽には”和音”と”不協和音”とがあります。快い名曲にはそれなりの
和音があり、音律が狂うと聞きづらくなるものです。
言葉づかいも音楽のひとつ、何気ないあなたの一言ひとことが他人を
勇気づけたり、傷つけていたりするものです。常日頃、言葉ひとつに他人
を思いやる知恵の一言一句が福を積む因でございます。
御真言: おんそらそばていえいそわか
(縁起) 本尊は大日如来像を安置し、仏法有縁の修行道場として
開かれた霊跡は、脇侍に祭祀する地蔵菩薩像とその御厨子には
太古の歴史が偲ばれます。所蔵されている寺宝の大般若経には
観応2年(1351)の銘があり、又、本堂背後の丘陵に、風雪に耐えた
法篋印塔がわびしく佇み、寺院の歴史が秘められています。
1994年06月14日

八浄寺
兵庫県淡路市佐野834



身・心の裕福を授けるみ寺
大黒天(裕福の神様)
大黒さまのお持ちの「ふくろ」は「福労」とも呼ばれています。
苦労をいとわず、かってでて、その積み重ねをためこむための
「ふくろ」です。この「ふくろ」から身・心ともに裕福な人生が右手の
打出の小槌をうち振ることによってあふれ出るのでございます。
大黒さまの「打出の小槌」は”怠け心””よこしまな心””弱い心”など
”邪悪な心”を打ち振って、人の迷いを晴らします。
御真言: おんまかぎゃらやそわか
(縁起)  應永年間(1398~)心了法師阿弥陀如来造立に創まり
延宝年間に盛奝上人、円融山浄満寺を中興されて後
八幡神社別当寺の平松山八幡寺と合併して、八浄寺と改称され
ました。秘佛開運大黒天は、不動明王の霊示により示現なし
霊威広大にして、多大の奇瑞をあらわし、身・心の裕福を
授けるみ寺として賑っています。殊に七福神霊場の総本山として
我国唯一の瑜祇七福之塔が聳え、宇宙の霊妙なる
パワーが体感でききます。(ご開扉大祭は、1月・5月・11月の各26日)
1994年08月18日

永源寺
滋賀県東近江市永源寺高野町41



当山は、南北朝時代の興安元年(1361)に、時の近江守護職
佐々木六角氏頼公が、入唐求法の高僧、寂室元光禅師(正燈国師)に
帰依し、領内の土地を寄進して伽藍を創建したことが始まりです。

禅師が入寺、開山されると、その高徳を慕って二千人あまりの
修行僧が集い、山中には五十六坊の末庵を有したと記されています。
1996年01月06日

鞍馬寺
京都市左京区鞍馬本町



鞍馬寺(くらまでら)は、京都府京都市左京区鞍馬本町にある寺。
1949年まで天台宗に属したが以降独立して鞍馬弘教総本山となっている。
山号は鞍馬山。開基(創立者)は鑑真の高弟鑑禎(がんてい)とされている。
本尊は寺では「尊天」と称している。「尊天」とは毘沙門天王、千手観世音菩薩
護法魔王尊の三身一体の本尊であるという。 京都盆地の北に位置し
豊かな自然環境を残す鞍馬山の南斜面に位置する。
鞍馬は牛若丸(源義経)が修行をした地として著名であり
能の『鞍馬天狗』でも知られる。新西国十九番札所である。
2001年01月02日

由加山 由加神社本宮
倉敷市児島由加2852



全国に五十二の分社を持つ由加神社の本宮。日本三大権現の一つ
また厄除けの総本山として知られ、江戸時代より由加大権現として
人々の信仰を集め、また備前藩主池田候の祈願所として栄えました。
時期を同じくして四国こんぴらさんとの両参りも盛んに行われ、現在も
両参りを信仰する人が多く、江戸本所の豪商・塩原太助の名を刻した
玉垣も見られます。境内には日本一の備前焼大鳥居や消痛の
小槌(宝物)などがあり、本殿は県指定重要文化財です。
2001年08月07日

冨士山小御嶽神社
富士吉田市上吉田小御岳下5617吉田口登山道



小御岳は富士山が作られる前からあったいにしえの山。
小御岳と古富士が土台となって、何度も噴火を繰り返し
いまの富士山の姿ができました。
冨士山小御岳神社は937(承平7)年、山岳信仰の聖地である
小御岳山の山頂(冨士山五合目)に鎮座、創建されました。
山岳信仰の霊地として古くから祈りの場として多くの崇敬者
修行者が訪れました。
富士山の五合目周辺は「天狗の庭」と呼ばれ
天狗が支配していたという言い伝えがあります。
小御嶽太郎坊正真という天狗様で、道開きの神様として
冨士山小御嶽神社に祀られています。
神社には天狗様にちなんだ宝物が多く残されていますが、
中庭に置かれている大斧はなんと重さ百貫(375kg)!
昔から多くの力自慢が大斧を持ち上げようと賑わっているそうです。
2001年08月08日

箱根神社
神奈川県足柄下郡箱根町元箱根80-1



箱根神社は、古来、関東総鎮守箱根大権現と尊崇されてきた
名社で交通安全・心願成就・開運厄除に御神徳の高い運開きの
神様として信仰されています。
人皇第五代孝昭天皇の御代(2400有余年前)聖占上人が箱根山の
駒ケ岳より、同主峰の神山を神体山としてお祀りされて以来
関東における山岳信仰の一大霊場となりました。
2002年01月12日

三千院
京都府京都市左京区大原来迎院町540



三千院は、京都市左京区大原にある天台宗の寺院。三千院門跡とも称する。
山号は、魚山、本尊は薬師如来、開基は最澄である。
京都市街の北東山中、かつては貴人や仏教修行者の隠棲の地として
知られた大原の里にある。
2002年01月12日

三千院
京都府京都市左京区大原来迎院町540



三千院は、京都市左京区大原にある天台宗の寺院。三千院門跡とも称する。
山号は、魚山、本尊は薬師如来、開基は最澄である。
京都市街の北東山中、かつては貴人や仏教修行者の隠棲の地として
知られた大原の里にある。
2002年01月12日

三千院
京都府京都市左京区大原来迎院町540



三千院は、京都市左京区大原にある天台宗の寺院。三千院門跡とも称する。
山号は、魚山、本尊は薬師如来、開基は最澄である。
京都市街の北東山中、かつては貴人や仏教修行者の隠棲の地として
知られた大原の里にある。
2002年01月12日

三千院
京都府京都市左京区大原来迎院町540



三千院は、京都市左京区大原にある天台宗の寺院。三千院門跡とも称する。
山号は、魚山、本尊は薬師如来、開基は最澄である。
京都市街の北東山中、かつては貴人や仏教修行者の隠棲の地として
知られた大原の里にある。
2002年01月12日

三千院
京都府京都市左京区大原来迎院町540



三千院は、京都市左京区大原にある天台宗の寺院。三千院門跡とも称する。
山号は、魚山、本尊は薬師如来、開基は最澄である。
京都市街の北東山中、かつては貴人や仏教修行者の隠棲の地として
知られた大原の里にある。
2002年01月12日

賀茂別雷神社
京都市北区上賀茂本山339



上賀茂神社は正式名称を「賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)」といい
京都市内の北部上賀茂の地にあり、神代の時代から信仰を集めています。
上賀茂神社の御祭神「賀茂別雷大神」は、母である玉依日売(たまよりひめ)が
境内を流れる御手洗川に流れてきた白羽の矢を床に置いたところ懐妊したとされます。
玉依日売とその父の賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)は下鴨神社に祀られています。
御祭神である「賀茂別雷大神」の「別雷」とは若い雷(神鳴り)という意味もあり
雷を神様と考えていた古来日本人の信仰を伝えています。
2004年01月03日

鞍馬寺
京都市左京区鞍馬本町



鞍馬寺(くらまでら)は、京都府京都市左京区鞍馬本町にある寺。
1949年まで天台宗に属したが以降独立して鞍馬弘教総本山となっている。
山号は鞍馬山。開基(創立者)は鑑真の高弟鑑禎(がんてい)とされている。
本尊は寺では「尊天」と称している。「尊天」とは毘沙門天王、千手観世音菩薩
護法魔王尊の三身一体の本尊であるという。 京都盆地の北に位置し
豊かな自然環境を残す鞍馬山の南斜面に位置する。
鞍馬は牛若丸(源義経)が修行をした地として著名であり
能の『鞍馬天狗』でも知られる。新西国十九番札所である。
2004年11月17日

光明寺
京都府長岡京市粟生西条ノ内26-1



西山浄土宗の総本山光明寺は、長岡京市西山のふもと、粟生広谷にあります。
宗祖円光大師法然上人が御歳43歳の時、日本で最初に念仏の産声を上げられた
立教開宗の地であります。
2004年11月26日

宝鏡寺
京都市上京区寺之内通堀川東入ル百々町547



 宝鏡寺では皇女方が入寺されていたことから御所より人形が贈られ
孝明天皇(こうめいてんのう)ご遺愛の人形をはじめ、由緒ある人形を
数多く保存いたしておりました。

 そこで、昭和32(1957)年の秋より人形展(一般公開)が始まり
その後関係者によりまして年1回、秋に人形供養祭(及び関係物故者供養祭)が
営まれることとなり人形塚も建立され、いつの頃からか人形の寺として名高くなりました。
2005年11月25日

正暦寺
奈良市菩提山町 157番地



正暦寺は奈良市東南の郊外の山間にあるお寺です。
992(正暦3)年、一条天皇の勅命を受けて兼俊僧正(藤原兼家の子)
によって創建されました。山号を「菩提山」、院号を「龍華樹院」と号します。
創建当初は、堂塔・伽藍を中心に86坊の塔頭が渓流をはさんで建ち並び
勅願寺としての威容壮麗を誇っていました
2005年11月25日

福寿院
奈良市菩提山町 157番地



福寿院は正暦寺にご来山いただきますと最初に見える建物です。
1681(延宝9年)に建替え・建立された建物で、上壇の間を持つ
数寄屋風客殿建築であり、国の重要文化財に指定されています。
2006年01月08日

白髪神社
滋賀県高島市鵜川215番地



白鬚神社は、滋賀県高島市鵜川にある神社。国史見在社で、旧社格は県社。
別称は「白鬚大明神」「比良明神」。神紋は「左三ツ巴」。
全国にある白鬚神社の総本社とされる。沖島を背景として琵琶湖畔に鳥居を
浮かべることから、「近江の厳島」とも称される。